人命有限非正義、殴りガキ
人は死んだら天国か地獄に行くと聞く。
その思想について詳しい事はこれぽっちもないけど、良い事をする人は天国へ、悪い事をする人は地獄。
高校生の頃に考えていた。
来世とか、前世とか、天国とか、地獄とかそういうのが今生きている世界の別の世界の事。
前世が何か悪いことをしたか否かなど記憶になく生きている。
僕は今を楽しく生きていたい。
身体中の細胞フル動員で常に手に入れたいものに手を伸ばしたり、周りの話題や笑い声にすら感動しながら生きていたい。
この世に人間が沢山いる山ほどいる。
その人間それぞれにはそれぞれの喜怒哀楽がある。
その喜怒哀楽の使い方がみんながみんな同じじゃない。
共有し合う為の喜びがあれば、自分だけを優先して相手の気も気にしない喜びもある。
人を守るための怒りもあれば、ただ相手を蹴落とすためだけの怒りもある。
人には人それぞれの正義がある。
人それぞれは守りたい思想がある。
「これはこうでなくてはならない」「こうなってはならない」
曲がった釘は使い物にはならない。
だから自分にとっての正しいを主張し続ける。
その主張には理屈とは別に批判をくっつけて。
些細な誰かの一言が自分の考え方と違えば「この人の考えは自分とは違う!」と躍起になってそれをなんの躊躇いもなく殺虫剤を吹きかけるかのように必死になって消そうとする。
その殺虫剤を吹きかける者が増えれば集団の虐めになる。
相手は一人。
意見が食い違う事はもはやそれぞれの正義が優先されては止む負えない事だ。
それを解決するのは「関わりを絶って認識しない」事だ。
わざわざ殺虫剤をすることじゃない。視界から消す事だ。
それが出来ないのならば、その人はそういう人だと認める事だ。
あなたの一生付きまとう事柄では無い。あなたが一方的に付きまとってしまっているだけだ。
自分の正義だけを最優先にして、人の心はないがしろにすれば、人の命が容易く消えてしまう。
現実が今そうなっている。
今、あなたにとって大切な人はいるだろうか?
その人を、大切に出来ているだろうか?
自分の正義に目がくらんで、人の心は見えているだろうか?
自分の言葉は、相手の心にどう聞こえているだろうか?
優しくしているだろうか?
人の命はあっけなく失われる。
それがもし、自分の身近な人間だったら?
仲良くしている人だったら?
今の社会は認識できる『思想』の数が増えすぎてしまった。
SNSは誰でも簡単に登録でき、思いつけば辿り着く先が誰かも問わず不特定多数に認識され、個人は不特定多数を認識する。
そこには様々な『思想』がある。
喜怒哀楽だけでは到底表しきれない『言葉』という組織。
人を守りたい為に1人の心を蔑ろにする事が正義だとは自分勝手にもほどがある。
主張する為の枠は制限するべきだと思う。
難しい事かもしれない。
でもただただ自分にとって分かり切れない反対意見はそっとミュートして欲しい。
もしくはそっと近づいて理解しようとする努力をしてほしい。
初めから壁を作っていれば、相手を押しつぶす勢いで相手を無に追いやることになる。
言葉がナイフになっていく。
僕は様々表現者が好きだ。
その人たちから消えない勇気を沢山貰っている。時には疲弊していく事もあるが、根っこに確かに『感情』や『言葉』がある。
その人たちがもしも、居なくなってしまえば、悲しい思いは当然だ。
だから僕は応援する。
人は褒められることが好きだ。
褒められると誰でも励まされる。
悪口は人を無に近づける。
何も生まない。失わせることしかない。
それが善である筈がない。
そんな時間があるくらいなら人を傷つける喜びなんかより、別の喜びに手を付けてくれ。
誰もが誰かを応援し続けて欲しい。
正しい事には感謝して欲しい。
やりがいをそっと感じさせてあげて欲しい。
押し付けないで、こっそり。
良い事をする人は死んだら天国に行くと聞いた事がある。
死ぬ事であるかどうか僕にはわからない。
けれど、赤の他人の死について人は悪い話だと悲しいを思う。
生を失えば忽然と『死』が提示され、その人の『生』は成長しない。
時間は有限。
相手がどんな風に時間を扱うか分からない。だから言葉は慎重に使って欲しい。
相手に伝える言葉次第で、その人の生きる世界に地獄を与える。
物事の認識の仕方次第で、自分の世界が地獄になってしまう。
死んだ後が天国か地獄かどうかどうでも良くて、人生24時間睡眠中でもHAPPYに生きていたいし、生きている人たち全員が楽しいの為に生きていて欲しい。
今の大人、これから大人になる人たちにも、本当のHAPPYを見つけて欲しい。
あの世じゃなくて、この世に生きていて幸せ、天国と呼べる環境を見つけて欲しい。