2021年7月アルバム7選と新譜で気に入った曲
・ALBUM
DYGL『A Daze In Haze』
Clairo『Sling』
WILLOW『lately I feel EVERYTHING』
SEKAI NO OWARI『scent of memory』
4s4ki『Castle in Madness』
Mom『終わりのカリカチュア』
Billie Eilish『Happier Than Ever』
・SINGL
2021年6月アルバム7選
【小説レビュー】第27回電撃小説大賞《選考委員奨励賞》受賞作!川崎七音『ぼくらが死神に祈る日』
第22回電撃小説大賞、大賞受賞作『ただそれだけでよかったんです』の松村涼哉推薦
――尽きない「欲望」、限りある「寿命」。僕らはいつだって選択を繰り返している。眩い理想に届かずもがくとき、きっと彼らの決断が心に刺さる。
第27回電撃小説大賞《選考委員奨励賞》受賞作!川崎七音『ぼくらが死神に祈る日』。
教会跡地の神様に寿命と引き換えに願いを叶える者達の限られた時間の使い方を問う物語。
紹介文
第27回電撃小説大賞で、応募総数4,355作品から受賞した青春ホラー
“教会跡地の神様”って知ってる? 大切なものを差し出して祈るの――。
突然の事故で姉を失った高校生の田越作楽。悲しみにくれる葬儀の日、それと出会う。
「契約すれば死者をも蘇らせる」
“神様”の正体は、人の寿命を対価に願いを叶える“死神”だった。
余命4ヶ月。寿命のほとんどを差し出し姉を取り戻した作楽だが、その世界はやがて歪み始める。
かつての面影を失った姉。嘲笑う死神。苦悩の果て、ある決断をした作楽に、人生最後の日が訪れる――。
松村涼哉も激賞! 第27回電撃小説大賞で応募総数4,355作品から《選考委員奨励賞》に選ばれた青春ホラー。
ストーリー(ネタバレ)
田越作楽は自分よりも顔も広く様々な人から慕われ、家族からも愛されている姉の葉月を交通事故で無くし葬式に出向いていた。
そんなある日、目の前にモーンガータというのが現れる。
彼の正体は作楽が高校受験の前の日に葉月と一緒に合格を祈った教会跡地の神様だった。
彼は寿命と引き換えに願いを叶えるという。
それに対し事故で葉月を無くしてしまったことに対し葉月の命の方が重いと自分の方が死んだほうが良かったと罪悪感を抱いていた作楽は自分の寿命と引き換えに葉月を生き返らせる事をお願い、自分の寿命を4ヶ月残し葉月は何もなかったかのように世界は辻褄が合うように改竄され、葉月が事故で死んだという事は無かったことになる。
しかし、事故によって不安が残る葉月は追い込まれて学校には通うことが出来なくなります。
そんな中作楽は葉月に憧れ、葉月の行ってきた事を真似して葉月から本を借りたりして哲学書などを読んでいきます。
作楽は学校である事に気付きます。
自分と同じようにモーンガータを利用した者が存在するという事に。そしてそれが一人ではなく、二人。
一人はいじめを受けて別のクラスに移動するように祈った冨士見という少女。そして、もう一人は目立ちたがりの少女。
その少女たちと出会い、モーンガータを利用したことにより他者がモーンガータを利用した時の影響が薄くなっていた作楽は、寿命を代償にしてモーンガータを利用する少女たちを姉の真似をして”人を助けていく”事を決意していた作楽は解決していく。
ある日、作楽の変化に気付いていた葉月は作楽の秘密を知り作楽の予想もしてなかった展開が起こっていく。
そして、最後に作楽が獲得し、気付く”命の重さ”とは――
感想
教会跡地の神様、モーンガータに祈った者達に気付いた作楽が行動を起こしてモーンガータの能力によって影響を受けた様々な事に挑んでいく展開は素晴らしく勇気を与えられるきっかけに読んでみて良い作品だと思いました。
作楽は葉月に劣等感を抱いているんですが、その心情の表現が足らなく感情の濃さはあまり感じないなと思いました。ストーリーの展開も感情表現は削られているような感じもして少し簡素な内容に感じましたが、300ページ以内に収まる内容にしては展開が多いので分かりやすく面白かったです。
細かい伏線が貼って複雑になっているような作品ではないので読書初心者でも気軽に読める作品です。
個人的に、欲しい物を手に入れるために寿命を差し出すというテーマに僕の大好きなデスノートを連想させられました。作楽がモーンガータを死神と呼ぶところや、最後に作楽からお願いされた時の反応も(笑)
そして、時間は有限。この言葉はやはりどの作品に出て来ても気付かされるものがありますね。
今度はなにを読もう……?
”さん”付け問題
人を呼ぶ時、名前に”さん”は付ける時はどういう場面、どういう相手の場合でしょう?
私は基本的に人をさん付けで呼ぶ場合、職場の相手、日常では尊敬できる相手にさん付けをします。
メディアでグループ名にさん付けはするか否かが話題になっておりますけど、恐らく、会社員だと当然のように自社と関係を作る会社に対しては”さん”付けはしてるのが常識だと思います。
人には”さん”付けはする。しかし、友達、親密な関係は抜きとして。
しかし、グループ名には”さん”付けしない。
ちょっと変なのとは思います。
いやしかし、なぜ、”さん”付けになっていないのかなと考えてみる、今回はロックバンドのグループ名に女優さんが”さん”付けをしなかったという事についてなぜなのかなと簡単に考えてみました。
普段からロックバンドやアイドルのグループ名にしても、会社にしても、それらを尊敬していたとしても、”さん”付けして話をする人は少ないように思います。
しかし、(しかし、が沢山ですみません)女優さんがバンド名をさん付けしなかったのには愛称という意味合いがあると思います。
明らかに、歳の差も、業界の歴も差があるわけですが、普段友人や知り合いと話をするときはそれまで”さん”付けしてこなかったという事が表で出してしまったという気がします。
別に擁護するつもりも非難もしませんが、その某女優さんが音楽番組で歌手として出演しているという場面で起きた事なので、前述したように、関係を持つ会社間では”さん”付けをしているという事に紐づけると、女優さんが歌手として同じ業界の人間という事も含めバンドも一会社と捉えると、”さん”付けするのが必然的なのかと思います。
”さん”付けは敬意を表しますので望ましいように感じます。
そんな中正直、そういう言葉の重さを越えて”さん”付けされない親しさを与えているスピッツというバンドは素晴らしいバンドだと思うし、けれど、尊敬した挙句、個人に攻撃的になってしまうファンは危険性があると思うからやめた方が良いんじゃないかなと思った。
また、別の角度から言わせてもらうと、グループ名という物には概念的な価値観を感じているので、概念に”さん”付けというのはするだろうかと考えてみたら、しないだろう。
だから僕はローランドの事は”さん”付けしない。
【ラノベ・感想】『ユア・フォルマ‐電索官エチカと機械仕掛けの相棒-』
やはり他人は自分でなくて他人でしかないんだな
やはり他人は他人であって、自分はにとって自分は自分だけれどもやはり他人にとっては他人でしか無くて結局その人のことが分からないし、その人が見た自分の事だって分からないものだと思う。
ストレスが溜まったりウイルスだけでなく社会的な問題が沢山発生している。
女性差別及び男女平等、テレビで放送されたコメンテーターの失言から、SNSで炎上、コロナ禍の自粛要請によって様々な企業や団体の資金が枯渇していたり、仕事が減って生活難に置かれている人々、そして自殺者が出ている。
これについて触れるなんて今更だし、かと言って気付いた時に素通りするようじゃ何も変わらないし、色んなストレスの箱を積み重ねていってもしょうがないから受け止めるために角度を変えて自分の言葉を見直してちゃんと考えたい。
毎日見てしまうTwitterでは様々な不平不満を見かける。トレンドでは様々なニュースがリアルタイムで更新される。政治問題やテレビ番組、エンタメ全般。
その中で一部で盛り上がっている発言で心のない言葉を投げているものを見かける。
テレビで誰かが失言をした事によって、Twitterではいわゆるディスりが発生する。
勿論失言してしまった人は悪いかもしれないけれど、その時に反応する人たちの反応の仕方に疑問を抱く。
その失言が人を傷つけるような無神経な発言をしているものであれば、その言葉によって傷つく人の事を擁護する事だけを優先して失言者の欠陥部分を取り上げて上げ足を取ろうとするような事や、老害という言葉を持ち出す人。
生まれた環境や生活環境で人それぞれ違う感覚を持ってしまっているのは当然で、だからと言って「その考え方のままでいいですよ」と言うつもりは無くて、当然その失言者は生きている日本の人間である以上(沢山の人の目に触れる人であればなおさら)生きている環境、社会状況に考え方を合わせられるようにシフト出来て行かなければならないと思う。
しかし、やはり人って周囲から求められる考えを100%的確に発言できる訳が無くて、いざ失言したらこぞって叩きにかかるのは歳なんて関係なくその発言で害を与えているかもしれないという事を考えて欲しい。
正直人の事言えた人間じゃないんですけど。
少しでも自分と食い違った考え方を見かけると頭に血が上って気付いたらTwitterでディスり見たいなヘイトみたいな投稿してしまってるんですよね。的確な答えが瞬時に出来ないのはちょっとやはり問題ですよね。Twitterって誰が見てるのか分からないところだしそのTweetで更に不満を抱く人が出たらと考えると結局自分も同じことしちゃってるんだなって。
そういう不満やうっぷんを晴らすのが、Twitterなのかもしれないけれど、そう思っていない人がいるという事を考えるととても無神経な人間になっているんだろうな。
他人にはあれこれ言っておきながら自分の言っている事だけが正義みたいに周りから見たら自分はどうなってるんだろうって気づけないから難しいね。
色々と問題が浮き彫りになっていてそれらに感情が引っ張られてしまう中、思った事を発する手前、今自分の考え方と言葉の選び方が試されてるような気がする。自分に限ったことじゃないと思うけど。