BUMP OF CHICKEN『リリィ』歌詞・解釈とおまけ
BUMP OF CHIKEN『リリィ』
〈スポットライトの下 自分を叫び唄った〉
この歌い出しだけでライブステージに立ち歌う情景が浮かんでくる。
まるで当人が自分の事を歌っているかのように生々しくその言葉が会話の一つのセリフに聞こえてくる。
〈思う様に伝わらなくてその度にこぼれる弱音を
「今はマズい!」と慌ててその場は巧く隠して〉
ステージの前に立つ人たちに対しての表向きと、自分のプライドで葛藤をしていることが伝わってくる。
とても男っぽくて、しかし人付き合いに不器用なところが伺える。
〈真夜中 鍵かけた部屋
膨れたポケット 裏返すと ホラ出てくる弱音の数〉
『真夜中』という場面には暗い性格を想像し、
『鍵かけた部屋』という言葉からは一人でいたい、誰にも立ち入らせないかのような”素朴”さを感じる。所謂陰キャと言う言葉に置き換えそうだが、人の目を伺って、自分を守って、それでいて前向きに聞こえてくるのは『思う様に伝わらなくてその度にこぼれる弱音を』という言葉が努力しているように聞こえているからだろう。
その上で言葉にすることが得意ではないからこそポケットは膨らんでいるという表現はとてもしっくりくる。
『ホラ』という言葉を用いることによって素っ気なく、軽さを感じる。その表現がむしろ潔く、ダサくなくて、カッコいい。
さらにストーリーの展開として、自分の弱さを一気にさらす勢いがあり物語の”起承転結”の”承”の部分への入り方がとても秀逸である。
〈1日分 想像つくかい?〉
ここで頑張って自分を強く見せちゃうわけです。
〈ところが君は笑った 幸せそうに笑った〉
主人公の言葉が”強がり”、だけど頑張っているという事を分かっている。だから『君』は笑った。(のかな?)
主人公の葛藤に対して、『君』の反応のギャップには面白いところがある。
『君』という表現には、相手を対等、もしくは下に見ているように聞こえる特徴がある。
その上で強がっている主人公の言葉を聴く限りだと、どこか突き放そうとしているようにも聞こえるが、それはきっと不器用な性格ゆえだろうなーという事が密かに漂ってくる。
〈当然 僕は怒った
「真面目に聞けよ!」って怒鳴り散らした
それでも君は笑った「かわいいヒトね」と言った
叫んでも 唄っても その一言には勝てる気がしない〉
そして、『君』よりよっぽど自分の方が小さ(かわいい)く見られているという衝撃的なギャップ。
当然『君』が女性という事が分かる。
自分自身を強く見せようと必死になっているのに、敵わないという事をさらっと認めていて突き放すようなつもりなどまるで無い”関係性”に輝かしさすら感じる。
青春のような淡く、若々しい葛藤のようなもの。
〈低いステージの上 必死で格好つけた
自分も人も上手に騙し 夢を見て 夢を見せた
「大言壮語も吐いてやろう」
そういう歌も唄った〉
〈低いステージ〉という事を気にしながら自分を大きく見せようと頑張っているところから少年のような意地があって拳を強く握るような絵が浮かんでくる。
更に、”嘘”をついているかのように歌っているが、”自分”と”相手”の存在の描写が見事に表現されている。見て(一人称)。見せた(二人称、三人称)。
自分の事だけではなく、相手の事も気にしているという事も十分に伺えて優しささえある。
そして更に俯瞰している歌詞がその後に歌われるのは面白い。
〈心の中 鍵かけた部屋 その歌が ドアを叩き続ける
「出てこいウソツキめ!」と自分の歌に格好悪く脅されるんだ〉
自分の閉ざして、嘘をついていた心に気付いていて、それが格好悪いという事まで主人公は自覚している。
〈ところが君は笑った 「格好いいよ」と言った
これだけ僕が愚痴っても 僕の目を見て そんな言葉をくれた〉
その格好悪いと感じているのに”君”に肯定されて〈そんな言葉をくれた〉と主人公はあっけなく救われていく。
〈「そういうトコロも全部かわいいヒトね」と言った
ツクっても 気取っても その一言には全て見られていた〉
格好つけたり、大言壮語も吐こうとしていた自身のちっぽけさを”君”〈かわいい〉と言いくるめられて主人公は負けを認めたように弱音を吐く。
〈ポケット一杯の弱音を集めて君に放った
強がりの裏のウソのを 放った ぶちまけた〉
相当葛藤や強がりのストレスが多かったのだろうと読み取れる。
人間だれしもあるだろう見栄のようなものに疲れて”君”の言葉に心が開いていく。
〈終電を告げる放送 慌てて駆けて行く人
右手に君の左手 もう離さなきゃ……〉
場面が突然駅に変わるが誰もが知っているような場面ですぐに想像がしやすい。場所が駅だという事と周りの描写と、一人称の視点で嬉しい描写に反して手を離さなければならないという悲しい描写が加わってここでも葛藤が表現されている。
〈改札を抜ける時 「最初で最後のヒト」 そんな言葉が浮かんだ
言わないで行くとしよう〉
大切な言葉を思いついて、それを自分の中に抱えていようと気持ちを保とうとする強がりは変わらないが前とは男らしさが違う。
〈最後に振り返ろう 確かめたいコトがあるんだ
やっぱり君は笑った 別れの傍で笑った
つられて僕も笑った
「また会えるから」って確かめるように〉
割り切れない気持ちがまだ残り、振り返ってしまうところは変わらない
しかし確実な変化は最初は頑固だったのに”君”につられて”笑顔”になっている事が主人公にとって”君”と”君”の言葉は大きな存在だ。
一緒にいる”君”からあっさりと影響を受けている事も含めて主人公は確かに可愛い。
〈やっぱり僕は唄うよ もう一度叫び唄うよ
今まで一度も使う事のなかった言葉を混ぜて
こう呼ばせてくれないか〉
それでもやっぱり唄う事が好きなんですね、主人公は。
でもなんだか”唄う”という意味が”伝える”という意味に聞こえてくるようになっているのは具体的に”君”との距離感と主人公の心境の変化からだろう。
そして振り絞ってとどめていた、”君”に使わなかった言葉を使うわけですよ。
〈「最初で最後の恋人」〉
この曲の中でここまでずっと”恋人”という言葉は使われていないのに、様々な描写から”恋人”を想起させる表現が使われていた。
例えば〈君〉、〈右手に君の左手〉、〈ところが君は笑った 「格好いいよ」と言った〉。
関係性が見えてくるのになぜか確信しきれないもどかしい表現が最後に的確に言語化されてこの曲の最高の快感ポイントでラストを迎える。
〈この歌が 部屋のドアを叩きに来たって胸を張れるから…〉
〈この歌〉を目印に気持ちを受け入れることや、また、最初のような気分になった時にまた自信を持つためのきっかけになるという決意のような歌詞でこの曲は終わる。
主人公は全く相手”君”を恋人と呼ばず、恐らくそれは彼の性格上の見栄からくる恥ずかしさで使えなかったのだろう。
とことん主人公が頑固ではあったが、水に加えられる色のついた一滴のように主人公の気持ちに変化を与えていく。
主人公は怒っているのに、まるで想像の反対の反応でむしろ優しい言葉を向けられていることによって、唄として聴いていてその感情の相反する感情が描写されることによって”アンビバレンス”が発生して違和感を与える。
始まりは頑固で、強がりで、ウソツキだった。
しかし、恋人の言葉によって自分の小ささを知り、心を開いていき、最後には自分を打ち明けるようになる。
それもつかの間、主人公の嬉しさを残して、恋人は離ればなれになってしまう。
恋人がまるで主人公の弱さだったかのように、弱さとお別れをして、ステージで決意をしたように、序盤とは違う強さを持って歌っている。
こういう出だしから最後には状況が逆転しているという表現はBUMP OF CHICKENの歌詞の一番の特徴。
だが、もちろん歌詞だけではなく、曲調も序盤はゆっくりとしたメロディだが、駅の場面から少しずつテンポが速い部分が増えていて主人公の焦燥が伝わってくる。
イントロとかもライブ会場と言う場面を想起させるギターのフレーズで世界観が徹底的に施されている。
葛藤する部分では荒っぽくエレキの音が響いて感情表現が巧みに表されている。
とにかく気持ちや、メロディがストーリーとして見事に『起承転結』で構成されているという話だ。
小説のようなのに、『歌詞』に落とし込むように言葉が見事に省略されているのにちゃんとストーリーと世界観が感じ取れて、聴き終えたときの達成感を感じる音楽はやっぱバンプだなと、改めて思った。
おまけ
先日、BUMP OF CHICKENがパーソナリティを務めるラジオの後半でギター、ボーカル、そして作詞作曲を担当する藤原基央がケロッと、ポロっとサラっと結婚を報告した。
彼らは今回取り上げた楽曲の収録している一枚目のアルバムで内省的な表現が多く、その詞を書いている当人である藤原基央が婚約の発表をしたのだ。
ロックバンド好き界隈では不動の人気を誇る藤原基央だ。当然ファンの中では衝撃が走っていた。
どうしてもこういう好きなミュージシャン(に限らず人)が婚約を発表するたびに困惑する者がいる。
藤原基央に対しても存在した。
一週間経っても引きずっている(もちろん悪いわけではない)。
だが、彼がこれまで歌ってきた楽曲からして今回の藤くんの決断については自分としては凄く嬉しく思っている。
かつては『弱さ』を持った主人公が多かったのに対して、歌っている本人が明らかに前向きな状況に身を置く事に至ったという事だけが一ファンとして大きな励ましになった。
結婚という事が”ゴール”と呼ばれることはしばしばあるが、その”ゴール”に踏み込んだという事が何というか、”BUMP OF CHICKEN”していて嬉しかった。
当然、バンプがこれで完結だという事はない。
まだ彼らは表現を追求していくだろうし、新たな『弱者の反撃』を表現する事は楽しみだ。
以上。