【ライブレポ/セトリ】江沼郁弥『江沼のまとめ -吉祥寺WARP編-』 今こそ響く、人との距離のはかり方
僕の所持金と、画面という条件に体感的に避けていたが、給付金も入金されて使ってもいいだろうと初めての有料の配信ライブを見る事になる。
そして、当ブログの初ライブレポになる。(本来ならGreenDayが初になるはずだった)
それでは、もとplenty、江沼郁弥さんの『江沼のまとめ』のライブのレポートをしていきたいと思う。
ライブレポート
自粛期間中にアレンジ、note限定で配信された楽曲、『春なのに(自粛 ver.)』からライブが始まる。(春なのに(自粛ver.)|江沼郁弥|note)
開場のステージには椅子にギター一本を抱えた男、江沼郁弥が座っている。
何を語るわけでもなくふと会場の空気に染み込むように江沼はギターを弾き、歌い始める。一人きり。
繊細なギターのぽつりぽつりとした音色が画面越しからにも語り掛けてくるのを感じる。
《嫌だなこんな春は 独りになるほど気付きすぎてしまう 変に明るい歌聴いても ギャップに落ち込んでしまうから どうすればいい どうすればいい》
と江沼は『春なのに』を歌う。
Aメロからとても明るいという曲ではなく、落ち込んでいる状況をそのまま言葉にした曲。
冷たく、寂しく、か細い心の檻に閉じ籠っているような言葉を江沼は歌う。
《テレビは他人事のよう》《未来なんて語らないで 逆になんかこわくなるから 期待なんて下手にさせないで》
期待しない。その気持ちがぽろぽろとこぼれていくのになぜか希望を見ていて、悲しい気持ちが気付いたら江沼に寄り添い始めていた。
江沼の感情的にもなり切れない歌い方。どこか弱気で前進しきることにためらっている歌詞。
歌の最後には、やはりこう思っている人もいるのかと思わせてくれる正直な言葉で終わる。
江沼は、何も語らず彼は歌う。
2曲目はplenty時の楽曲、『手紙』だ。なお、今回のセトリはplentyの楽曲がメインだ。
弾き語りだから当然、原曲のような壮大なストリングスや、不安さを煽るドラムは無いが江沼の隠そうとする気のない、上を向くわけでも、カメラに目を向けるわけでもなく設置されたスポットライトにオレンジに照らされギターを弾き語る姿と歌声からは世間と同様、人と接し合うことが前向きにとらえられないというどこか世界と切り離されたような事の素朴さ、孤高さを表しているからかその姿から十分な意味が生まれている。
今回のライブが江沼郁弥からの”手紙”なんだと分かってくる。
アコギでアウトロをかき鳴らしそのままアルペジオを引きながらしゅんとした空気のまま3曲目『東京』に移る。
《他の人が口にするほどヒドイところでもなくて 自分自身で思ってたほど素晴らしいところでもなくて》
今の日本社会に突き刺さる楽曲。江沼は眉間にしわを寄せ、弾き語りだがロックシンガーとばかりにその影がまだ確かに残っている強さがある。
まるでこの時期に当てはめて作られたような楽曲にも思えるが10年も前の楽曲。
《矢印の方へ従っておくか》
COVID-19の影響かニュース、ネットで様々な言葉が発信された。
あちらへ向け。こちらへ向け。
社会の流れに逆らう事は疲れたりして従っておけば済むような人の弱い部分の辿りつく先。それが繊細に的確に鋭利になって共感して少し胸が痛くなる。
確かに素晴らしい歌であるのに、弱点を突かれて目をそむけたくなってしまう言葉が僕の好きなシンガー、江沼郁弥、彼から発せられてくる。
バンドサウンドではここまでのトゲっぽさより荒っぽさが強かった印象を持っていたが歌詞がダイレクトに針を向けてくる。
4曲目は『風の吹く町』。
哀愁があるが、タイトル通り風が吹いている爽やかさがある。
彼が『春なのに』の最後の歌詞の答えのように希望を抱いていて、何処か明るい。
背中を押すというよりそっと自分も同じ境遇だと言っているようなささやかな寄り添い方をしたまま5曲目に『偽善からはじめよう』を歌い始める。
自身が無いけど前向きに、前進しようと落ち込んだ心を押し上げようとせんばかりの《躊躇わなくていいんだ 見られたくないんだ 知られたくないんだ 気持ちが悪いんだ だってそうだろう?》と立て続けに肯定してくれる。
そして6曲目に一番plentyで素朴さを支えてくれて、今一番人々が気にしている事と重なるであろうテーマと共通してしまった楽曲。『人との距離のはかり方』だ。
今、世界中でウイルス感染防止のため人との距離――ソーシャルディスタンスが求められている。
更に、今の社会、様々な人間同士の関係性まで悪影響が浮き彫りになってきている。
楽曲は偶然にも江沼がplentyで歌っていたがまさに人間や社会の今浮き彫りになってしまった弱い部分に当てはまっていて今まさに誰もが耳を傾けるべき楽曲だと言えるんじゃないだろうか。
少なくともこのライブを観戦した人たちには江沼っちが言いたいことが届いた事だろう。
7曲目『イキルサイノウ』。
タイトルから暗い言葉にも聴こえてしまうがこれは問いかけの楽曲。
素直、率直。
《何が言える? 僕の口から 何が言える? 僕からキミに》
だけど弱い部分が裸にされている。
現状誰もが簡単に結論が出せず、ずるずると引きずり未だ解決されていない。
それでも江沼が希望をわずかでも光を引っ張り出すことができるようにと願っているように思う。
だが、今回歌ってくれたことだけで十分生きる才能を与えられたような気がする。明らかに歌に引っ張られて生きていて、耳が、目が生かされている。
8曲目『砂のよう』。
テンポの速い楽曲。江沼はギターをかき鳴らす。
《悲しみに意味があると言う》
《さんさんと降り積もる刹那は まるで砂の山のよう》
《このまま抜け出せないままで そのまま埋もれて行くの?》
明らかに僕ら、今の社会への問いかけだった。
前曲の歌唱より荒々しさを掘り出しながら、リズムに体を揺らせ、声を一番に張り、突き抜ける高音で言葉が最近見ていた社会の景色を掠っていく。
9曲目『よろこびの吟』。
これまでの歌唱以上にうっぷんを弾き飛ばさんばかりに声が叫ぶように歌っていた。
だけど悲しい声をしていた。
《ボクは生きている》
存在している。そう歌っている。何より大事で、ダイレクトに訴えてくる言葉。
エモーショナルな張り上げる歌声は気持ちを一瞬で共感させてくる。
《キミは生きている》
9曲目に来て力を分けてくれる。
生きろと言われている気がしたのは僕だけじゃないはずだ。やわで繊細な歌が生々しく伝わったと思う。
最後の曲。『光源』。江沼郁弥『#1』の楽曲。
《遠いよ キミが祈ってしまうほど 遠いよ キミが憧れてしまうほど》
と歌うと悲しい事を歌っているが、”音楽”である彼はこう最後にこう歌う。
《高く キミを導いていくような 僕はそうありたい
灯し続けていたいんだ 照らし続けていたい》
人柄がはっきりと見えたその言葉でこのライブは終わる。
彼自身は終始饒舌に、しかし素朴に歌い上げた。
全10曲。1時間にも満たずだったが歌声全てがこのタイミングに聴いたおかげでダイレクトに”人間”として何かを自覚したものが沢山あった気がした。
plentyの楽曲がメインではあったが、弾き語りなりにplentyでの演奏とはまるで違ったニュアンスで届いた。だけど寄り添ってくれていて、優しい。
恐らくそれは江沼の少しうつむいた表情や姿勢からだろう。これまでplentyでもソロでも生でライブを見たことはなかったが、いつもどうりだった。変わらないテーマを持った江沼らしい姿があった。
初めて有料配信ライブを観戦したが、良かった。
画面越しという距離だからこその歌との距離別の角度で感じられた。
余談だが、自分はあまりライブやフェスでも体を動かして楽しんだりしない。だからこそこういうメッセージ性の強いバラード調の歌声が染みわたってくるタイプなのだろうと思う。人によりけりだろうけど。
しかし、とにかく江沼っちがしゃべらないからこその良さがあったのだろうし、この状況だからこそ思い至ったセトリだっただろうとも思う。
しばらく彼がしゃべっているところを聴いていないから懐かしさにも浸りながら掘り下げて聴いて彼の人間性を洗いざらい感じたいと思う。
パンクバンドから、ミクスチャー、電子音楽へと形を変化させていった一人の”アーティスト”江沼郁弥さんの今後の活動が気になる。
ありがとう、ちょっとばかり最近無情になって言葉を選べていなかったかもしれない。気をつけようと思う。
江沼さん、本当にありがとう。気持ちを”まとめ”てくれて。
セトリ
1.春なのに(自粛Ver.)
2.手紙(plentyセルフカバー)
3.東京(plentyセルフカバー)
4.風の吹く町(plentyセルフカバー)
5.偽善からはじめよう
6.人との距離の測り方(plentyセルフカバー)
7.イキルサイノウ(plentyセルフカバー)
8.砂のよう(plentyセルフカバー)
9.よろこびの吟(plentyセルフカバー)
10.光源
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