amazarashi 1st ミニアルバム『0.6』を聴く。
ふと、初心に戻りたいという気持ちになったとき、BUMP OF CHICKENの『THE LIVING DEAD』やONE OK ROCKの『ゼイタクビョウ』と共にamazarashiの『0.6』というバンドとして初の全国版の1stミニアルバムを聴きたくなる。
- 価格: 1571 円
- 楽天で詳細を見る
『0.6』というこのアルバムはamazarashiがamazarashi名義になる以前『あまざらし』名義で活動していた時代に、バンドのフロントマン秋田ひろむ及びバンドの故郷である青森で500枚限定で発売された『0.』というアルバムの内容が再収録されamazarashiに改名後に発売された全国版初の1stミニアルバムである。発売は2010年。
このアルバムを初めて自分が聴いたのは発売から年後の2014年とかだったと思う。
今ではメディアタイアップが増え知っている人も恐らく多いだろう。
まだ10代だった自分にとってはとても衝撃的で、しかし、意味が分からなかった。
amazarashiの魅力は、ざっくり言うと曲の歌詞、哀愁ある編曲、秋田ひろむの歌声。
あくまでざっくりとamazarashiというバンドを引き付ける魅力はこの3つだ。
その部分を踏まえて2010年発売のこのアルバムを10年後の2020年にレビューを書いていこうと思う。
まずこのミニアルバムの一曲目はこれから始まる。
1、『光、再考』
タイトルに”光”と入っておきながら明るいわけではない。
光りにあこがれる落ちこぼれともいえる歌詞が陰鬱として嫉妬とも近い悔しいながら光を羨む言葉が並べられた一曲目。
amazarashiはバンドの王道の構成ではあるが、魅力の一つとしてキーボードがいて主張が強過ぎるわけではないが、フォークなロックサウンドに溶け込んだ音色が心を知らぬ間に掴まれている。
イントロからギターとキーボードの音。
バンド名に合った”雨”を想起させる冷たい高い音のピアノの反響してゆっくりと間を置いたリズムがなんとも悲しい世界に引きずりこむ。
曲は始まりの最小限の音に対して、エレキギターの激しい音で心の葛藤を表現し、淡々と物語に寄り添い、音を抑え、歌の主張を際立てるという展開が想像力を掻き立てる。
この世には想像すれば見える”憧れ”があり、それをうらやましいと思うと手に入れたいと思わされる。この曲は、そんな人や周りの”差”によって醜くなる人間の心理を歌っている。
そんな曲がこのアルバムにはほかにもあり、このアルバム後にも何度も活用されて、秋田ひろむは歌を聴かせることになる。
今では武道館公演も達成し、楽曲はカバーされるくらいの憧れられる一つの偉大なロックバンドになっている。そんな、光。
2、『つじつま合わせに生まれた僕等』
秋田ひろむのボーカルが一番光る楽曲にして代表曲だと自分は思っているくらいに世界観が素晴らしい楽曲。
語り口調になる歌のリズムがぐさりと胸を突きさす。
何かが解決するわけでもなく『つじつま合わせに生まれた僕等』と歌い、結局なるべくしてなった人類だと、まるで自然現象の果てで出来上がったと言わんばかりの歌詞。前向きではなく卑屈な歌詞が痛々しいが、秋田ひろむのぼそぼそ歌いだす始まり方は説得力があり、語り口調な歌のテンポはやはり言葉の意味と感情が聴こえてくる。効こえてくる。
幸せな人間と、痛い思いをしながら何かが貧しく生きる人間。
それでも淡々と時間は進んで、悲劇がどこかで起こっている。
誰もが転がる石なのに、皆が特別だと思うから
こうして差を感じてしまい、苦しむ人間がいる。幸せと不幸と。
平等ではない。規模が大きく、悩んでも解決法が分からない。
しかしこの曲が結論を出していると思う。
”ふざけた歴史のどん詰まりで
僕等いまだにもがいている
結局何も分からずに
許すとか許さないとか
死刑になった犯罪者も
聖者の振りした悪人も
罪深い君も僕も”
”いつか土に還った時
その上に花が咲くなら
それだけで報われる世界”
”そこで人が愛し合うなら それだけで価値のある世界
だからせめて人を愛して
一生かけて愛してよ”
生きるとか死ぬとかこの世には絶対ある現実。
確実に生まれると死はセットなの。
だからせめて生きている間幸せになり合う為に、人を愛してよ。一生かけて愛してよ。
愛し合ってよ。
そう聞こえる。
3、『ムカデ』
初めて聴いた当時一番好きで一番このアルバムで聴いた曲で、カラオケで歌ったとき一番怖いと思った曲。
ピアノの深い低いイントロで始まり不穏極まりない。
(この曲は個人的に毛皮のマリーズの『愛するor Die』という曲を連想させるがそれはまた別のお話)
淡々と歌い出しから”給水に反射する夏の太陽 器用に生きる象徴としての……”と間も僅かに息継ぎをする瞬間に聞こえる息が若干の必死に生きようとしているような感情を表していて感想も邪悪な気が溢れ、混とんとした表現からの2番に移ればまた必死さのある歌声。サビの盛り上がりは世界をガラッと変え更に混沌へと連れて行く。
盛り上がりの上ずるように高くなる歌声はまるまる恐ろしくもがいているような”気持ち”を表しあっという間に最後に”生きていてもいいですか”としおらしく弱弱しく終わるのがあえて格好良い。
4、『よだかの星』
amazarashiにおいて切っても切れない大事なポエトリーリーディンという手法。
この楽曲は”歌う”というよりは秋田ひろむは詩を”読む””語る”。
秋田ひろむはきっての読書家で太宰治や寺山修司が好きらしい(また、補足するとこの両作家は秋田と同様に青森出身である。)。
これを聴くと、青森出身なりの発音がはっきりとわかる。
声もだが、やわらかい口調で半音上がる、下がるようなテンポが聞こえやすい。意識して聞いてみると訛りをやはり感じる。
5、『少年少女』
この楽曲は去年、一昨年毎日必ずと言ってもいいほど聴いていた。
印象的なフレーズ”思い出なんて消えてしまえ”。
青春という誰もが通過する思春期。
秋田ひろむのリリックによく出てくるテーマであり、根本にある人間性を構成していると思う。
実際に合った体験を歌い、誰もが通るような景色を歌い、この曲は共感ができる。
何かを思い出すことというのは悔しいと思う事もある、反面気持ちがいいもの。苦しんだ過去。それから数年経った今。きっと学生が聴いてもピンと来ない事もあるかもしれない、大人になってからこの曲を聴くと学生の頃に感じた印象とはきっと変わると思う。この楽曲は自分も当時も意味が分からなかったが、好きで歌ってはいた。しかし、意味が分かった今は歌っている。今でも歌っている。結論歌っている。うん。好き。
この曲が10代の頃に聴いていたっていう青春の一ページの記録にセットであるから。思い出の曲である。
やっぱり思い出なんかいるよ。
6、『初雪』
季節を表す楽曲もamazarashiの魅力の一つ。
青森の思い出でも歌っているような、故郷を離れ上京しようとする手前に回想しているような楽曲。
過去に足取りが重くなっているような、ゆっくりとしてしっとりとしたメロディ。
”でも大丈夫 ちゃんと前に進めているよ”
この秋田ひろむ自身が苦しんでいるような歌詞だが、最後に前進させる歌詞で終わるのが弱音ばかりのバンドではなく、諦めていないのが人としてカッコよく、憧れ、リスナーの背中を確かにこの楽曲は押していると思う。希望の唄。
7、『光、再考(DJ KRUSH Remix)』
(上記iTunesのタイトルが『光、再考』だがDJ KRUSH Remix版です。)
DJ KRUSHのリミックスバージョンである。
リミックスは原曲よりちょっと怖いのである。
ボーカルの加工の仕方が怖いのである。
ジャングルジムの影が長くなって。
そんな光。光、光。で、であ、でである。……光…………光……ああ、ああ、ああ…。
あとがき、まとめ。
やはり初心に戻るのである。
このアルバムは誰にでもある悔しい気持ちと努力しようと思った事が一曲一曲に共存しており、どれかを聴いても悔しかった気持ちを思い出して、頑張ろう。苦しんでも、頑張ろう。とありきたりだが思わせられる。
初心とはいつか。それは初めて何かを始めたときの成長の出発地点の事である。
もし何かに間違いがあったんじゃないかとか思うときは、目指していた”光”について再考をする。
どうやったら正しいか、改めて考える。
そして再起した時にスムーズ進んだ時。喜べる。
だから僕は喜びの為に死ぬまで走り続けたいんだよ。
上手くいかない時は誰にでもあるよ。
今君は日陰の中にいるだけ。
それではここらへんでおいとまというところである…。
- 価格: 1571 円
- 楽天で詳細を見る